「自分を大切にする」は、わがままじゃない。自己愛と利己愛の違いについて

いい人でいることに疲れているのに、それをやめる勇気も持てないそこのあなたこそ読んでください。

 

01 「自分優先」は悪?

「もっと自分を大事にしなよ」という言葉は、励ましのように聞こえます。けれど実際には、この言葉を素直に受け取れない人が少なくありません。
なぜなら私たちは長い時間をかけて、他人を優先できる人=いい人という価値観の中で生きてきたからです。

たとえば、

本当は疲れているのに飲み会に行く。
断ったあとに、家で「やっぱ行けばよかったかな」と3回くらい反省する。「大丈夫?」と聞かれた瞬間、大丈夫じゃないのに「大丈夫!」と答えてしまう。

学校でも職場でも、協調性や気遣いは高く評価されます。
空気を読む力、場を乱さない態度、譲る姿勢。
それらは社会を円滑にするために確かに必要な能力です。
しかしその価値観が強くなりすぎると、「いい人でいなければいけない」という見えない義務に変わります。

自分を守ろうとすることが、自己中心的に見えてしまうのではないかと不安になるかもしれませんが、見え方と本質は一致しません
ここを混同すると、自己愛は簡単に「わがまま」というラベルを貼られてしまいます。

 

02 自己愛と利己愛の決定的な違い

自己愛と利己愛は、言葉としては近く感じられますが、その向きは正反対です。
利己愛は、自分の利益や快適さのために他人を利用する姿勢のことを指します。一方、自己愛は「自分を損なってまで他人を優先しない」という選択です。

たとえば、チームで成果を出したとします。
利己愛は、「ほとんど自分の力です」と言い、他人の貢献を薄めてでも、自分の評価を取りにいきます。

自己愛は、「自分はここを頑張りました」と言い、自分の努力はちゃんと主張するけれど、他人の手柄は奪いません。

利己愛は、他人を下げて自分を守る。
自己愛は、他人を下げずに自分を守る。
違いはそこです。

 

03 「いい人」が抱えやすい誤解

自己愛をわがままだと感じやすいのは、多くの場合、もともと他人への配慮が強い人です。

頼まれたら断れない
LINEの返信が遅いと自分が悪い気がする
「ごめんね」とすぐ言ってしまう

あなたがクッションだとすると、最初はふわふわでも、踏まれ続ければぺしゃんこになります。
自己愛を持たずに生きていると、自分の本心がわからなくなってきます。「本当は嫌だった」「本当は疲れていた」という自分の声にもっと耳を傾けてみてください。

自己愛は性格を変えることではありません。急に強くなることでもありません。

 

04 境界線があるからこそ、関係は続く

人間関係を長く健やかに保つために不可欠なのが「境界線」です。
境界線とは、家の玄関の鍵のようなものです。
鍵があるから、安心して眠れます。誰でも自由に出入りできる家は、落ち着きません。

自己愛が弱いと、玄関が開けっぱなしになります。
相手の機嫌も、相手の期待も、相手の不満も、全部自分の家の中に入ってきてしまい、気づけば自分のスペースがなくなってしまいます。

一方、健全な自己愛を持つ人は、「ここまでは引き受けられるけれど、ここから先は相手の課題だ」と線を引くことができます。

この線引きは冷たくなんかありません。
むしろ、健全な関係の最低条件です。
どちらか一方の我慢で成り立つ関係は、長持ちしません。

 

それでも「自分を優先するのが怖い」あなたへ

ここまで読んでも、「理屈はわかるんだけどさ」と思っているかもしれません。
自分を優先した瞬間、誰かががっかりするかもしれない。
距離を置かれるかもしれない。
「扱いやすい自分」ではなくなるかもしれない。

ひとつだけ考えてほしいことがあります。

あなたが自分を削り続けることでしか続かない関係は、本当に守る価値のある関係でしょうか。
あなたが黙っていることで保たれている平和は、本当に健全な平和でしょうか。

自己愛は、誰かに勝つための姿勢ではありません。
誰かを見下すための態度でもありません。
自己愛は、「私は消耗品じゃない」と自分に言ってあげることです。

自分を大切にすることは、誰かを大切にしないことではありません。
ただ、自分を犠牲にしないというだけです。

もしそれで離れていく人がいるなら、離れたのはあなたの価値ではなく、「あなたを我慢させられる状態」です。

あなたは、我慢を前提に扱われる存在ではありません。
あなたがあなたの味方になることは、わがままではありません。
それは、生きるための最低条件です。

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