「友達って必要ですか?」
この質問に、簡単に「必要」と答えられない人はいると思います。
もしかしたら、今これを読んでいるあなたもそうかもしれない。
学生の頃、友達がいなかった。
どこかのグループに入ろうとしても、うまく呼吸が合わなかった。
教室にいるだけで心を消耗して、いるのにいないみたいな気持ちになった。
いじめにあっていた。
そんな経験があると、「友達って必要?」という問いは、ただの雑談ではなくなります。
まず、これだけは先に言わせてください。
「いじめられる側にも原因がある」は嘘です。
いじめられていい理由なんかあってたまるかって、思います。
理由があるとしたら、いじめる側が、いじめを選んだという理由だけです。でもそんなものが理由になって良い訳がありません。
いじりとか、冗談とか、空気とか、そういう言葉で包んでしまうと、いじめは簡単に無かったことになります。
でも、受け取った側の心の中では、ずっと続いてしまい、「友達は大事」という言葉が、正しいほど苦しく、それを持てなかった自分がまるで欠陥みたいに思えてしまう日もあると思います。
そもそも学校の友達って、けっこう特殊です。 好きが近い人が自然に集まった、というより、 同じ教室に割り当てられた人たちの中で、うまく居場所を作れる人が勝ち残っていく、みたいな場面も多いです。
グループに所属できないのは、あなた自身に何か問題があるわけではありません。
空気のルールが合わなかっただけかもしれません。
誰かを傷つけないために言葉を選びすぎて、あなたの心が疲れてしまったのかもしれません。
合わない場所で“合うふり”を続けるのって、本当に消耗します。
だから私は、「友達が必要かどうか」を、いったん別の言葉に置き換えたいです。
必要なのは、友達という肩書きより、 言葉が雑に扱われない関係なんだと思います。
何気ない一言が、何年経っても残ることがあります。
言った本人は忘れているのに、言われた側だけが覚えている言葉は、 大人になっても、ふいに戻ってきてしまいます。
「ごめんね」も、時々むずかしく、謝られた瞬間、許せないままの自分だけが悪者みたいになることがあります。許せない側の痛みが置き去りになって良い訳がないのに。
そして、言葉が人を壊すのを見てしまった人もいると思います。
誹謗中傷が積み重なって、大好きだった人がいなくなってしまったとき、紙よりペラペラの、責任も覚悟もない言葉が、誰かの人生を終わらせてしまうことがあるんだと知ってしまうと、人と関わることについて、慎重に考えるようになるはずです。
だからこそ、「友達を作ろう」の前に、言葉の安全の確保が必要だと思います。
あなたの心が、雑に扱われない場所が必要です。
友達って、必要ですか?
私は「必要」だと言うと思います。
でもそれは、誰でもいいから仲間を作れという意味ではありません。
あなたが安心できる人間関係を、あなたのペースで選んでいいという意味です。
今すぐ見つからなくてもいいんです。
あなたが生きてきた分だけ、あなたの心は慎重になっています。
それは弱さではなく、生きるための必要な力です。
最後に、もう一度だけ、
「いじめられる側にも原因がある」は嘘です。
あなたが悪かったわけじゃありません。いじめられていい理由なんか、この世にひとつもありません。
あなたの心が、これ以上、鋭利な言葉で傷つけられませんように。
あなたが安心できる場所に、ちゃんと辿り着けますように。
zzzgooはあなたの人生をまるごと応援し続けます。
